紙工視点 2018.08.21.(火)

荒牧 悠の視点:
「自己表現」じゃなくて「自己教育」のために作る

第1回目のインタビューでは、「紙工視点」に参加する、作家の視点そのものを掘り下げます。世界をどんな風に見ているのか?どういう考え方で、新しいアイデアを生んでいるのか?作家の個性を、凝縮してお伝えします。

尾崎 豊を歌いながら、ドライブ中の荒牧さん。

荒牧 悠さんは、アーティストです。今回は、その人のことをより深く知るために、取材場所もそれぞれの方に選んでもらいました。荒牧さんの希望は「ドライブ」(場所を聞いたのですが)。彼女の運転する車の助手席に座り、車内で話を聞きながら、葉山へ向かいました。

神奈川県立美術館へも寄りました。ムナーリ展は、2回目とのことです。

荒牧さんはこれまで、さまざまな展覧会で作品を発表をしてきました。彼女の作品を見た人の頭の上には、よく「?」が浮かびます。気付きはあるけれど、発見したとも言い切れない。なるほど!と言いたいけれど、どこかもどかしい…。そんな作品を生み出す彼女自身は、どんな目で世界をみているのでしょう。よりじっくり聞くために、場所をカフェへ移します。

― 運転、ありがとうございました。今日、持ってきてくれたものがあるんですか?
(荒牧さん、ジャラジャラと机に並べる)

知恵の輪、モアレができる板、ガラスをつないだ作品がカバンから出てきました

― 知恵の輪…?

荒牧 悠(以下、荒牧) 中学生のとき、サンタさんに知恵の輪をもらったんですよね。その年のクリスマスは、ずっと知恵の輪やってました。それが、最近になってまた、いいなと思って。 …あ、外れた!

「知恵使ってないのに、外れた!」とはしゃぐ荒牧さん

― …どんなところが、知恵の輪の魅力ですか?

荒牧 起源がわかりそうで、わからないところです。なんでここにあるんだろう?って思うんですよね。もともと、おもちゃとして楽しもうと思って作ったのか、わからない。でも、誰かが外れなさそうな絡みあった金属を触っていて、偶然取れたとき、あ、取れた!みたいな感動があったんだろうな、って想像するんです。

― たしかに、もともとはパズルとして作ってないかもしれませんね。

荒牧 なんか、知恵の輪を見ていると、自分が教育されている感じがするんです。別に、教育用に作られたわけじゃないけれど。そういう意味では、自分のしていること自体が「自己表現」よりも、「自己教育」に近いな、と。より広く、ものごとを見られるようになりたいな、とか、自分が「もの」から受ける印象に、意識的になりたいな、とかを実現するために作っています。たとえば、大学4年生のときに、ハンマーのシリーズを作ったんですけど。

― はい

荒牧さんが学生時代に制作した、ハンマーのシリーズ。ヘッドがワイヤーフレームになっているもの、水が入っているもの、卵の殻でできているものなど、いろいろあります。他の作品はこちらのサイトから。http://harukaaramaki.tumblr.com/tagged/object/page/4

荒牧 ハンマーは「ハンマー」という、言語的な名前と、意味を持っていますよね。この作品も「ハンマー」として見てしまうし、持つ準備も、頭の中ではしているんだけれど、裏切られる。「この物体はハンマーではない」って。これって、記号的に「もの」を見ている、ってことですよね。記号的にものごとを捉えてしまうと、その枠のなかでしか考えられないな、と思っていて。そういう、記号的な見方を疑う姿勢が必要なのかなって。だから、自分の経験のために、作っているのかもしれない。

― 思い込みを、少しずつ外していく感じなんでしょうか。

荒牧 ああ、そう!自分は、固定観念や、偏見をすごく持っているから、そういうものを外していく努力をしたい。結局は、自分の考えの内側でしか作れないから、思い込みがあると、それが壁となってしまって、うまく進まない。ものごとの理解を深める手段の一つとして、作れるものを増やしている感じです。

― 思い込みという意味では、ワイヤーでできたおにぎりも、ビー玉が具に見える、という不思議さがありました。

「具はなに」(2016年)

荒牧 構造をそのままオブジェクトにしたときに、「そのもの」として理解できるか、というところが面白くて。この場合は、フレームとビー玉で、おにぎりの構造を表しています。全く役に立たないものだけど、自分にはめちゃくちゃ役に立っている。

― 人に見せるためだけじゃなくて、自分が見るために、作っている感じなんですね

荒牧 そうですね。……人に見せるために作っているのかな…。

― もはや、見せることは目的じゃないと…?

荒牧 実は、そうかも(笑)

― イラストの仕事もしていますが、そちらはどうでしょう?

荒牧 それは、見る人が余計な意味をくみとらない、ことを意識しています。難しいけれど、できる限り、意図以外のことを読み取る可能性を排除したいな、と。

2017年に福永紙工と製作した、伊勢丹オリジナルマスキングテープ「伊勢丹でお買い物」のイラスト。

― 荒牧さんの絵は、男性か女性かもわからないときがありますよね。それは「意図以外」のことだから?

荒牧 そうそう。「意味になっちゃう」という感覚が、自分のなかにすごくあって。

― 「意味になっちゃう」…?

荒牧 「意味になっちゃう」。あるいは「役に立っちゃう」も、意味の一つなのかもしれないけれど…。できる限り「意味」を避けたい。それは、ほかの作品も同じで。たとえば「すがすがしいプロダクト」の素材って、なんとなく想像つきませんか?透明なのかな、とか、ひんやりする感じの金属なのかな、とか。作られるものと印象とが、言語的に結びついている。それがある種の「意味を持っている」状態。

― なるほど

荒牧 それに対して、言語では受け取れない「それ以外の部分」というのがあって。知恵の輪でいえば、この2本の金属の位置関係、さっきも見たな、とか。構造や、仕組みだけだったら、意味はない。

― 作品も、同じように作っていますか?

荒牧 自分が何かを作るときに、「ものづくり」っていう言葉が、しっくり来ないんです。作品自体の明確な形を、作るときには持っていないから。あくまで、こうしてみたら、こうなった、っていう「プロセスのかたち」にしかならないんです。

第2回目に続きます

取材・構成:角尾 舞

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